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槍ヶ岳中崎尾根(2019/03/05-09)

参加者:CL網野(3)、SL小林(2)、室田(2)、木下(1)

 槍ヶ岳中崎尾根計画は僕が1年生だった2年前にも実施された。2つ玉低気圧の接近の為に槍ヶ岳が目の前に見える中崎尾根上で3日間も停滞し、粘りに粘ったが晴れの日は訪れずに敗退するという思い出深い山行だった。大朝日岳PH計画の山行記でも書いたが、僕が1年生の時に初めて登った冬山が大朝日、最後に登った山が槍ヶ岳であり、奇しくも両方とも敗退に終わった。4年生まで現役とは言え、本格的に活動するのは3年生の今年が最後だろう。3年生の最後の大きな山行として槍ヶ岳には絶対登っておきたかった。一昨年は中崎尾根末端からの入山だったが、今年は行程を短縮する為に大量降雪時でなければ右俣林道から入山することにした。末端から詰めたほうが大学山岳部らしくて良いんじゃないかという考えもあって、どちらの入山にするか迷ったが、なるべく登頂の確度を高めたかった。

3/4 移動日

0600 仙台駅 発

1731 松本駅

2030 新穂高温泉 登山指導センター 幕営

 装備チェックの時から思わぬハプニングがあった。メンバーは4人なのでもちろん4,5人用テントを持っていく予定であったが、テントを点検していると入り口のチャックが壊れた。修理も間に合わず、さすがにこれでは冬山には行けない。仕方ないので倍以上重い5,6人用テントを持っていく。このせいでザックの重量は上級生で30kgオーバーになってしまった。

 朝6時に仙台駅を出発。鈍行電車を8回乗り換え、11時間かけて松本まで行く。一昨年もやっているだけに流石に慣れてきた。これまた一昨年同様に松本でタクシーを呼び片道2万3000円くらいかけて新穂高温泉につく。途中白馬が新島々駅でタクシー呼んだほうが少し安くなるという衝撃の事実に気づくがもうどうしようもないので聞かなかったことに。タクシーの運転手の話では、やはり今年は雪がかなり少ないらしい。駐車場に適当にテントを張って幕営する予定だったが、雨が降っていて濡れるのが嫌だし、人気も皆無だったので登山指導センターの中で寝させてもらうことに。最新の予想天気図を確認すると6,7の天気が悪く8は晴れそうだったので5,6でACまで移動して、7日は停滞し8日にアタックをする方針を立てて、就寝。暖かくて最高の寝床だった。

3/5 1日目 天候:晴れのちガス

0430 起床

0530 登山指導センター 発

0945 滝谷避難小屋

1100 槍平避難小屋

1430 奥丸山先のコル手前 幕営

 右俣林道は先週末の登山者のものと思われるトレースがついていて快適に進んだ。しかし、穂高平に進む途中でショートカットの登山道を進んだのだがこれが間違いだった。基本的にトラバースする道であるが、下にクラストした層があって滑りやすく、また雪崩で一部崩落している箇所もあって物凄く歩きにくくてここで時間ロスしてしまった。こういうときは素直に林道を進むのが結果的に1番早いと思い知らされる。白出沢分岐まで進むとトレースが消えたが、やはりラッセルは少なくサクサク進んだ。滝谷は物凄い大きな大量のデブリが沢を埋め尽くしていて雪崩の巣にいるんだと恐ろしくなる。このあたりから日差しがきつくなってきて一枚でも汗ばむような天気になった。槍平に向けて進むとグズグズになった湿雪が足にまとわりついて物凄く足が重い。槍平避難小屋で休憩をしている時に、雪の状態も悪くなかったので飛騨沢を詰めて別の緩い尾根から中崎尾根に登るほうが良いなとも思ったが、結局計画通り奥丸山に続く尾根を登ることにした。

 奥丸山の登りは下のクラスト層で滑るわ重い雪がどんどん纏わりつくわで物凄い体力を消耗した。おまけに斜度もかなりあるのでロープを出しても良いかもしれないような場所もあった。登っていると、日差しで気温が一気に上がってきたためか、滝谷の方面からゴロゴロと雪崩の音が聞こえてきた。沢の上部の急な場所で、湿雪雪崩が起きているようだった。とは言え、飛騨沢周辺ではデブリや雪崩の兆候は見られなかったので、避難小屋で思ったように飛騨沢を少し詰めてから緩い尾根に乗ってしまっても良かったかもしれない。こういう所の判断というのは、やはり難しい。奥丸山到着時点で皆の消耗も激しかったので、この日は中崎尾根を無理に進まず、幕営することにした。

 新しい予報を確認すると8日の高気圧の移動が遅く、アタックできない可能性が出てきた。絶望しつつもとりあえず明日はAC予定地まで移動することにして就寝。

奥丸山の急登

3/6 2日目 天候:曇のち雪

0430 起床

0620 発

0900 千丈乗越

1215 幕営地

 起床して外の様子を見ると予報より天気が良く、晴れ間も見えて風も穏やかだった。この日は中崎尾根を進んで終わりにするつもりだったがアタックできそうだったので、少しでも登頂の可能性があるならと、急遽アタックすることにした。中崎尾根は膝ほどのラッセルだったが、引き返しリミットもあるのでそれに間に合うように急げ急げと皆でラッセルを回す。しかし、相変わらず雪の下にクラスト層があり小ピーク手前の急斜面ではアイゼンわかんをしないと歩きにくい場所も多かった。千丈乗越につくとやはり今年は雪が少ない為か、岩がかなり露出していた。そのため、右から巻けそうではあったが、計画通り直登した。かなりの急斜面だったが左側の岩場を登り、その後のナイフリッジもロープなしで進んだ。緊張する登りだったが、みんな危なげなく登ってくれた。頑張った甲斐あってうまいこと計画時の時間通りに千丈乗越の登山道に合流することができたが、このあたりから雪と風が強くなってきた為、撤退することに。千丈乗越の下りは雪も少なく、東側の夏道周辺の地面が露出していたので露出している地面や千丈乗越東側の草付きに沿って下降した。

3/7 3日目 天候:雪

0430 起床

0630 発

0830 AC設営

 この日は午後から荒れる予報だったので朝のうちに中崎尾根を進んで2388ピーク先の2400m付近にACを設営した。昨日からの雪で40cmほど積もったので、一部トレースは残っていたがない場所では膝から腰ほどのラッセルになった。幕営して午後になると、雪風ともに強くなり、厳しい寒さとなった。白馬の持ってきたトランプで大富豪をやったり、空焚きして物など乾かしたりしながら過ごした。

 新しい予報を確認するとやはり明日は朝のうちは冬型の影響が残って天気が悪く、昼前から回復するというものだった。6日のアタックから、ACから千丈乗越まで計画時で3h取っていたが、1.5hくらいで行けそうだったので出発リミットや撤退リミットを改めて、天候が回復するのを待って出発することにした。

AC予定地に向かって進む

3/8 4日目 天候:曇りのち快晴

0430 起床

0900 発

1100 千丈乗越

1320 槍ヶ岳 山頂

1500 千丈乗越

1630 AC 帰幕

 起床すると雲が出ており、風もかなり強かったが、時間がたつに連れて穏やかになっていった。8時ごろになると快晴になって稜線から太陽も顔を出し、風と寒さが大きく和らいできたので出発することに。降った雪で6日と打って変わって濃い雪化粧になっていた。ド快晴の中、本来の冬の姿に戻った槍ヶ岳は本当にかっこよくて見惚れる。「これだけ天気が良いのだから今回こそは2年ぶりに登れる」そう思うと武者震いした。

雪化粧の槍ヶ岳

 出発するとトレースはほとんど消えていて、膝から腰上の厳しいラッセルになった。千丈乗越下部の緩斜面の尾根上右よりをラッセルしていると、20~30m離れた飛騨沢方面に続く夏道の斜面でサイズは小さいが表層雪崩が起きた。こちらの方にもクラックが走っているのが見えたので慌てて尾根の1番てっぺんに逃げようとするが腰上のラッセルで中々進まない。恐怖の中がむしゃらにラッセルした。この状況では到底夏道沿いには行けないので、6日同様千丈乗越は直登した。眼の前で雪崩が起こったことによる恐怖感はまだ残っていたが、一度来た道であったため変に焦りすぎることなく登ることができた。このあたりも飛騨沢方面から吹き上げられた雪が多く積もっていて、アイゼンのみの装着というのもあってかなり厳しいラッセルになった。西鎌尾根にでると大きなラッセルはなく、しばらくは順調に進むことができた。

 しかし、穂先直下の夏道が沢の方にそれている場所では、雪崩を警戒して夏道上の斜面を進むわけには行かないため、尾根上の岩稜に乗り上げたり、際を進むようにして登ることになった。仕方なく雪の斜面を一部トラバースしたりする場面では雪崩の恐怖と戦いながら腰上のラッセルをすることになって精神的にもかなり消耗した。

千丈乗越のナイフリッジ

 槍の穂先は事前の情報通りはしごや鎖のほとんどが露出していて、苦戦することなく登ることができた。とは言え滑ったらサヨナラなのは言うまでも無い、しきりに注意喚起して登った。快晴の中、2年後しの登頂は泣き笑いみたいなのが込み上げてきた。感無量とはこのことだろう。皆で思い思いに写真撮影を終えたあと、リミットも迫っているので早々に下山をすることに。永遠にこの余韻に浸っていたかったがこればかりはどうしようもない。無事に帰ってこそ登頂したと言えるのだ。1番懸念していた千丈乗越の下りでは、fixをすることにした。ナイフリッジを渡った先の斜面上部のハイマツに支点に取ろうと、掘り返していくと比較的新しい残置が出てきた。どうやら考えることは皆同じらしい。ハイマツとスノーバーでビレイ点を取って下降した。15mくらい降りたところで斜面西側の岩場に残置の支点があるのでそこで区切った。このあたりまで下ると雪がかなりグズっていてノーロープでも下れそうだったので、ロープなしで下った。50mロープなら懸垂下降で一気に降りてしまうのが時短になって良いかもしれない。結局、テントに戻ったのは1630を過ぎたあたりだった。冬ではあまりよろしくない行動終了時間ではあったが、気温も高く晴れの天気なので許容範囲だろう。

 明日の天気予報も晴れ。飛騨沢下降でまず間違いなくその日の内には下山できそうだったので、この日はお祝いとばかりに夕食のカレーに追加で予備食のらーめんも食べて就寝。気持ちよく眠ることができた。

快晴の中頂上にて、感無量でした

3/9 5日目 快晴

0400 起床

0600 発

0700 槍平避難小屋

0800 滝谷避難小屋

1000 穂高平小屋

1100 下山

 計画では行きと同様、奥丸山に続く尾根経由で槍平避難小屋に降りる予定であったが、急登で降りにくそうだったのでACから少し進んだ先の緩やかな尾根を通って飛騨沢に下降した。雪は降雪直後の昨日よりもかなり安定していた。飛騨沢に降りると単独行の登山者と出会った。情報交換をして、互いにありがたくトレースを使わせてもらうことに。おかげさまで大きなラッセルもなく進むことができた。槍平避難小屋につくと、晴れの週末ということもあって4ptほどさらに別の登山者がいた。

 下山後は一昨年と同じように中崎山荘にお邪魔して入浴。「前は護岸工事が盛んだったけど、なくなったなあ」などと思い出しながらゆっくりお湯に浸かった。帰りのタクシーはクラウンではなく、なんとワゴン車。聞くところによると、東京五輪開催に向けてこういったタクシーが増えているらしい。登山者としてもトランクにぎゅうぎゅうにザックを詰めなくていいというのはありがたい。松本駅で解散。一昨年に千田さんと行った松本バスターミナルの最上階にあるサーティワンに行こうとしたが潰れていた。なんとも悲しい。そんなこんなで僕の槍ヶ岳のリベンジマッチは無事成功で終わることができた。(網野記)

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